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【災害を風化させない】漁師が集い、地域住民が交流し、子どもたちの笑顔があふれる場所に。「番屋」が牽引する地域復興

- 東日本大震災では、漁師が漁業の拠点とする施設「番屋」も大きな被害を受けた
- 日本財団「番屋再生事業」は、番屋を漁業だけでなく「地域交流の場」として再生するプロジェクト
- 番屋を拠点にして、地域の活性化や、若い世代の育成・交流の機会を増やしていく
取材:日本財団ジャーナル編集部
2021年は、東日本大震災から10年、熊本地震から5年といった、未曾有の被害をもたらした大震災の大きな節目となる年。連載「災害を風化させない」では、復旧・復興に取り組んできた人々のインタビューを中心に、今もなお活動を続ける人々の声を通して、災害に強いまちづくり、国づくりを考える。
今回は、津波で甚大な被害を受けた宮城県の水産業の復興に努めてきた宮城県漁業協同組合(別ウィンドウで開く)・監査室の山内裕(やまうち・ゆう)さんと総務部の佐々木孝(ささき・たかし)さんにお話を伺った。
お2人は、日本財団が東日本大震災の発生直後に立ち上げた復興プロジェクト「ROAD PROJECT(ロード・プロジェクト)」の一環で、水産業の復興と沿岸部の地域コミュニティの再生を目的とした「番屋再生事業」(別ウィンドウで開く)において、宮城県8カ所の番屋の再生に力を尽くしてきた。
壊滅的な被害を受けた水産業
「番屋(ばんや)」とは、全国各地にある漁師の作業所や休憩所を指す。
もともとは、人の少ない冬期に漁場を管理する必要性から、そこに滞在できる「番小屋」というものが漁港の近くに生まれ、時代を経て漁夫が寝泊まりする番屋と呼ばれるようになった。
有名なものでは、北海道のニシン漁を支えた大規模な鰊番屋(にしんばんや)などがある。

東北地方の漁港の近くにも、番屋がたくさん存在した。
自然が相手の水産業。いつでもすぐに漁に出られるということはなく、天候や波が穏やかになるまで、海の近くで待機し、繁忙期には泊まり込みで仕事ができる場所が必要だった。
また、漁業に必要な道具を置いておいたり、ちょっとしたご飯を食べたり、時には漁師たちが親交を深めるために利用できる多用途な施設が必要だった。
つまり番屋とは、「待機場所」「納屋」「宿泊施設」「食堂」などといった、漁業を支える多様な役割を果たす場所なのである。
山内さん「番屋は、それぞれの地域の水産業に欠かせない拠点、漁師にとっての仕事の最前基地とも言えます。東日本大震災の津波では、漁業そのものに対する影響も図り知れないものがありましたが、同時に無数の番屋が流出しました。これによって、漁業関係者が集える場所がなくなり、漁業者間の連携する機会も減っていったのです」

全国屈指の水産県である宮城県。県中央部に位置する牡鹿(おしか)半島を境に、北は複雑に地形の入り込んだリアス式海岸、南には平坦な砂浜海岸が広がり、沖には親潮と黒潮がぶつかる海域を有し、多様で豊かな海産物の宝庫とも言える。
震災前の2010年における漁業生産量は全国2位、本州では1位である。
山内さん「宮城県の水産業は、全国においても高い生産高を上げていました。主要な海産物はカキやホタテ、ギンザケ。ノリやワカメなどの養殖も盛んでしたね」

2011年の東日本大震災は、そんな宮城県の水産業に壊滅的な被害をもたらした。
宮城県にあった142の港、全てが被災し、沿岸部では、70〜150センチメートルの地盤沈下が起き、牡鹿半島が5.5メートル移動したという。漁業従事者も400人近くの方が亡くなった。

佐々木さん「私も避難所から、町を襲う津波を見ました。海に面している漁港の被害はすさまじく、船が流されたり、壊れたり、施設も破壊され、鉄骨しか残っていないものも多かったです」
その後、漁港の復興は進んだが、すぐに番屋が建てられることはなかった。水揚げや魚の取引に直接関係のない番屋は、公的支援を受けることができなかったからだ。
水揚げ量が戻らない中、漁師や地域の漁業協同組合だけで、番屋を再建することも難しかったという。
番屋プロジェクトを通じて、再生したいもの
そんな中、「漁師にとって必要な番屋を再生しよう」という動きがスタートしたのは、日本財団によるROAD PROJECTがきっかけだ。
震災後、日本財団では、海や水産業に関わる復興支援事業を3つのステージに分けて行っていた。
- 緊急支援ステージ…海を生業とする仲間の命と安全を守る
- 復興基盤支援ステージ…海の生業・海と密着した暮らしを再生する
- 生活文化の再生支援ステージ…ふるさとの誇りと地域コミュニティを取り戻す
緊急支援に取り組んでいた際に、被災地の漁師から「漁港は整備され始めたが、漁に出る前は自分の車の中で待たなければならない」「壊れた漁具は仮設住宅で修理している」「震災以降、漁師仲間と顔を合わせる機会が減った」という声を多数耳にした。
そして、その声を受けて生まれたのが「水産業を中心とした新しいコミュニティ創生のための番屋再生事業(通称:番屋再生事業)」である。


山内さん「漁師の人たちのコミュニティの中心であり、心のよりどころでもあった番屋を再生できるということで、とても期待しました。関係者と対話を重ねる中で、番屋を軸とした地域コミュニティを新たにつくり出したいと考えるようになりました」
本来、番屋は漁業関係者のための施設で、地域住民とのつながりがあるものではない。しかし震災では、誰もが大きな被害を受けた。
番屋をそのまま再建するのではなく、新しい町のコミュニティとして生まれ変わらせることで、漁業と地域の復興を進めたい。
そんな想いのもと、2011年11月から始動した番屋再生事業。2018年4月に事業が終了するまでに完成したのは、岩手県を含む17カ所の施設である。

佐々木さん「それぞれ、地域に合った特徴があります。例えば、気仙沼市の南部にある大谷海岸番屋では、番屋としての機能の他に、地元の女性部の方々が特産品を作る施設が入っています。まんじゅうの生地にかぼちゃを練り込んだ『黄金まんじゅう』とワカメや野菜を使った『浜福神漬け』は、元々捨てられていたワカメの中芯がもったいないと、地元の女性たちが『おばちゃん倶楽部』というグループを結成し、作り始めたものです」

佐々木さん「また、離島に位置する宮戸番屋は、地元の農家の方々の会合や、地元の小学生たちの体験学習の場としても利用されています。体験学習では、カキを剥く作業や、収穫したノリを平らにする作業など、座学と実技の両方を通して学ぶことができます。こういった体験を通じて、水産業に関心を持ってくれる若い世代が増えていけばと考えています」


- ※ 生ノリを細かく刻み、簀 (す) の上に並べた木枠に流し込んで水気を切り、天日で乾燥させる工程
他にも、石巻市にある長面浦番屋では、月1回のペースで「長面浦の復興と漁業を考える会」を開催。地元の人たちと地域の未来について語り合う機会をつくるようにしている。
また、そこでは海で獲れたカキやホタテといった水産物を振る舞って地域住民の労をねぎらうなど、番屋を中心とした新たなコミュニティが生まれている。
震災によってバラバラになった地域を束ねる役目として、番屋の持つ可能性の大きさを改めて感じさせる。


豊かな東北の水産業を食べて応援しよう!
東日本大震災から10年経った今も復興途中の地域が多いという東北地方。私たちに何ができるのか山内さんに聞いてみた。
まず、山内さんが挙げたのは、震災の悲しい歴史をしっかりと未来に生かすこと。
昔から、多くの地震に見舞われてきた東北地方には、「津波てんでんこ」という言葉がある。これは「津波が来たら、周りを気にせずバラバラになって逃げる」という意味で、それが津波から命を守るために最も大切なことだと考えられてきた。
私たちも、いつ災害が起きてもいいように、普段からしっかり備えをしておくべきだという。
山内さん「あと漁業従事者としては、やはり食べて東北を応援してもらえるとうれしいですね。沖で海流がぶつかり合い、豊かな水産物が獲れる宮城県。ノリ、カキ、ワカメ、ギンザケ、ホタテ、ホヤなど、どれも美味しいので食べてみてください」
宮城県の新鮮で美味しい水産物は、宮城県漁業協同組合の公式ウェブショップ(別ウィンドウで開く)でも購入できるので、読者の皆さんもぜひ食べて応援しよう。

日本の水産業を支え、地域コミュニティの再生を牽引する番屋。漁師たちが自然と集い、地元住民が交流し、子どもたちの笑顔があふれる場所として、これからも大きな役割を担っていくことだろう。
連載【災害を風化させない】
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第1回 歴史的な一枚の写真が紡いだつながり。写真家・太田信子さんが撮り続ける理由
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第2回 福島の子どもたちの夢を応援したい。CHANNEL SQUAREの平学さんが目指す本当の「復興」とは
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第3回 ナナメの関係で子どもたちの「向学心」を育む。宮城県女川町で学び場づくりに取り組む女川向学館の想い
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第4回 心に傷を負った子どもたちには息の長い支援が必要。キッズドアが被災地で学習支援を続けるわけ
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第5回 熊本の復興を支援する元サッカー日本代表・巻誠一郎さんが伝えたい、被災地の今、災害の教訓
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第6回 地域との協働で「子育て」と「働く」を支援。トイボックスが目指す、人と人がつながり、自分のままで生きられる優しい社会
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第7回 漁師が集い、地域住民が交流し、子どもたちの笑顔があふれる場所に。「番屋」が牽引する地域復興
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第8回 被災地で広がる子どもの教育・体験格差。塾や習い事に使える「クーポン」で復興を支え続ける
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第9回 話しやすい「場づくり」で支援につなぐ。よか隊ネット熊本が大切にする被災者の声に寄り添う支援
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第10回 看護師として「精いっぱいできること」を。ボランティアナースの会「キャンナス」が大切にする被災者への寄り添い方
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第11回 「遊び」を通して、支え合うことの大切さを伝える。防災ゲームの開発に秘めた菅原清香さんの想い
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第12回 生活環境を改善し命を守る。災害医療ACT研究所が目指す、安心できる避難所づくり
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。