嬉しくっても涙って出るんだ。夢の旅行の記憶が、難病児の父を、母を、強くする。

「若い頃はずいぶんとやんちゃしました」と照れながらはにかむ、父・朋哉さん。彼のポリシーは、“悔いなく生きる”。趣味のバイクで地元釧路湖近くの山に登り、朝日を眺めることが好きだったという朋哉さんは、独身時代は仕事に遊びに、人生を謳歌していました。
そんな朋哉さんの隣でにこやかにほほ笑む、妻・直子さんは、朗らかでお喋り好きな明るい女性です。「側にいることが当たり前のように感じる人」と、朋哉さんは照れ臭そうに紹介しました。
おしどり夫婦の二人ですが、結婚直後、直子さんの持病の治療のために、1カ月間離れ離れに暮らしていたことが、朋哉さんの記憶に残っているといいます。直子さんの治療が終わり、完治した姿に安堵すると同時に、妻が側にいることが無性に嬉しく、こっそり泣いたと教えてくれました。「嬉しくても涙って出るんだなと、あの時初めて知りました」
喜びも悲しみも二人で乗り越えてきた夫婦は、延蔵君の病気が分かった日も、二人で寄り添っていました。
小さな息子の身体の異変に気付いたのは、延蔵君が生まれて2週間後のことでした。けいれんの発作が続き、日ごと容態は悪化していきました。地元の病院で検査をしても病名は分からず、その日から入院生活が始まりました。病名が判ったのは、最初の発作から一年以上経ってからのことでした。
延蔵君の病名はSTXBP1遺伝子異常による難治性てんかん。体の硬直やけいれん、脳機能障害などがおこる難病の一つです。発症率は宝くじにあたるよりも低いといわれています。
息子さんの病気は治りません。延蔵君の病状を淡々と告げる医師の声が、朋哉さんの胸に刺さりました。

延蔵君の病気が分かってから8年、宮田夫妻は延蔵君の通院先にあったポスターをみて、ウィッシュ・バケーション(※)に申し込みました。新しい家族も増え、育児や看護で家にこもりがちだった直子さんが、家族みんなで思い出を作りたいと思い、参加を希望しました。
一家が参加したのは、ディズニーランドと浅草を巡る、2泊3日の旅でした。初日にディズニーランドを満喫し、翌日は浅草を名物の人力車に乗って周遊していると、街角から突然、大きな声で名前を呼ばれました。
「宮田ファミリー、浅草へようこそ!」
一家を乗せた人力車が街を練り歩くたびに、歓声が上がりました。
「いらっしゃい!」「楽しんでいってね」道々ですれ違う人力車の車夫仲間による、威勢のいい歓迎のあいさつです。北海道からやってきた一家を迎えるために準備された、粋な計らいでした。


「嬉しくて泣いたのは、昔、完治した妻を迎えに行ったあの日以来です。大げさかもしれないけれど、人々の笑顔とあたたかさに触れて、生きていて良かったと思いました」。朋哉さんは当時の体験を懐かしそうに語りました。
横でにこやかに耳を傾ける直子さんも、嬉しそうに頷きます。「旅行から戻っても、ふとした時にあの時の感動をよく思い出します。家事に看護に仕事に、毎日本当に大変ですが、思い出すたびに自分を励ましています」
あの時の浅草で撮った写真は、今もリビングの一番目立つ場所に飾られていました。
写真には直子さんと子どもたちの満面の笑み、そして朋哉さんの、くしゃと涙をこらえた顔が映っていました。
日本財団 ドネーション事業部 小村悠子
- ウィッシュ・バケーション
外出が難しい難病の子どもと家族を家族旅行に招待、社会と触れ合うことで、孤立しがちな闘病生活を支援します。日本財団は、(公社)日本歯科医師会協力による歯科医師の寄付事業「歯の妖精TOOTHFAIRY」にて、2013年度より本事業へ支援を行っています。

日本財団は、「生きにくさ」を抱える子どもたちに対しての支援活動を、「日本財団子どもサポートプロジェクト」として一元的に取り組んでいます。