【現地レポート】宮城県丸森町、家の自力再建 豊富な経験で支える

宮城県丸森町は2019年10月の台風19号で被災しました。床上浸水した家屋を住民が自分たちの力で復旧できるように、支える取り組みが続いています。

写真:庭にあった小屋の屋根を解体する作業。地面に置かれた大きな屋根の上で男性2人が、しゃがんで釘抜きなどの作業をしていました
庭にあった小屋の屋根を解体する作業

「床下にたまった泥を見たとき、どうすればいいかわからなくて途方に暮れました」

家が被災した芳川登弥子さん(53)は、当時のことを振り返りました。

芳川さんは10月に丸森町に転居する予定でした。もともと仙台市で多肉植物と豆盆栽の販売をしており、日当たりが良い場所で植物の栽培をしようと、丸森町への移住を決めたばかりでした。山など日差しを遮るものがなく、客がアクセスしやすい場所を探し、やっと見つけた中古の平屋を契約。台風19号に見舞われたのは引っ越しの直前でした。

仙台市にいたため自分自身は無事でしたが、丸森町で借りた家は床上浸水。30センチくらいまで泥水が達した跡が残りました。床の上に泥が残り、床をはがしても泥が出てきました。

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被災当時を振り返る芳川登弥子さん

11月、町の災害ボランティアセンターに相談しました。週末などに短期で駆けつけるボランティアの派遣はできると言われましたが、自分で作業の指示を出す必要があります。「専門知識がなく、どこから手を付ければよいかがわからないから、指示は出せない。被災して仕事がなく、業者に依頼する資金もありませんでした」。芳川さんは困り果てました。

プロじゃない でも経験は豊富

そんなとき、芳川さんの噂を聞きつけた「おてら災害ボランティアセンター テラセン」の坂野文俊代表(57)から声がかかりました。テラセンは、東日本大震災をきっかけに普門寺(宮城県山元町)を拠点に立ち上がった団体です。その後、災害があるたびに、発電機やチェーンソーを車に積んで被災地を支援してきました。

テラセンが大事にしているのは、被災者が主体となって再建を進めること。活動はあくまで支援です。
今回も家屋の骨となる部分の補修や断熱材の除去などの方法を、芳川さんに教えながら一緒に進めました。

特に大変だったのは壁をはがす作業。バールを使って壁を壊すのは骨が折れる作業です。思いもしなかった場所に水を吸った断熱材が入っていることもあり、カビの原因になります。断熱材が入っている場所をくまなく探し、ときには床下に潜ることもありました。

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小屋の解体作業にあたるテラセンの坂野さん(右)やスタッフ

坂野さんは「我々はプロの大工ではありません。でも、多くの被災した家屋を直したり解体してきた経験があります。水につかった部分をただ壊すのではなく、丁寧に取り外すなどしてなるべく使えるものを残し、余計な費用がかからないように工夫しています」と話します。

人の思いが集まった家に

さらに坂野さんは、ボランティアやテラセンのスタッフ、つながりのある学生など、多くの人が作業に関わる工夫をしました。坂野さんは「芳川さんは丸森町で仕事をしたくて移住を決めた人。人との触れ合いを通じて、ここに住むことに希望を持ってもらいたかった」と、その理由を話します。

写真:破れた障子に学生ボランティアが貼った折り紙。サボテンや花の形の折り紙が貼られていました
破れた障子に学生ボランティアが貼った折り紙

それは、坂野さんが東日本大震災で被災した時に経験したことでした。多くのボランティアの手で復興した普門寺には、関わった人が今も立ち寄ります。「当時の絆は私にとってかけがえのないものです」。まわりの人の力を借りながら、自分で生活を立て直すことで、被災した人が地域に愛着を持てると坂野さんは考えています。

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テラセン代表の坂野文俊さん

2月上旬、床上浸水の被害のあった1階の居間には木の板がはられていました。ここにタイルカーペットをはれば、床のできあがりです。タイルカーペットはテラセンがフェイスブックで呼びかけて寄付されたものを使います。

破れた障子には訪れたボランティアたちが好きな形に切った折り紙を貼っていきました。芳川さんはそれを見て「この家はたくさんの人の思いを頂いて再生しました。床も壁も見れば、関わってくれた一人一人の顔が思い浮かびます。大切に住みたいです」と喜んでいました。


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