らい菌発見150周年記念式典
マーガレス・ハーゲン・ベルゲン大学学長、リン・クリスティン・エンゴー・ベルゲン市長、ハンセン博士のひ孫であるアビ・パトリックス氏、お集りの皆さん。本日はベルゲン、そしてノルウェーが世界に誇るハンセン博士がハンセン病の原因であるらい菌を発見して150年となる記念すべき日にハンセン博士の功績を称える式典を開催いただいたことに敬意を表すると同時に、また皆さんの前でお話しする機会を頂き、WHOハンセン病制圧大使として心から感謝を申し上げます。
旧約聖書の時代から、ハンセン病は神罰や呪いであると恐れられてきました。中世のヨーロッパでは、ハンセン病に罹患すると「死のミサ」が行われ、以降患者は死人(しびと)として扱われ教会にも立ち入ることが出来なくなったといいます。このような、いわれなき「迷信」に基づく状況を大きく変える歴史的発見が150年前の今日、この場所でなされました。そう、ハンセン博士によるらい菌の発見です。
ハンセン博士の発見により、ハンセン病は感染症であることが明らかになりました。それに伴い、治療薬の開発も進み、1980年代には多剤併用療法(MDT)が開発され、ハンセン病は完治する病気になりました。日本財団は姉妹財団である笹川保健財団と協力して、このMDTの無料配布を1995年から5年間世界中で行い、この間500万人が治癒しました。その後製薬会社のノバルティスがこの活動を引き継いでいます。こうした活動の結果、MDTの使用開始から1600万人が治癒したといわれ、先進国ではもはや「過去の病気」とまで認識されるようになりました。
しかし、本日皆さんにお伝えしたいのは、ハンセン病は決して「過去の病気」ではなく「現在進行形の病気」であるという事実です。今やハンセン病は早期発見・早期治療により何の障害もなく治る病気となりました。しかし、依然として世界でハンセン病の新規患者は登録者だけで年間20万人ほど発生しています。ハンセン病は初期の段階では痛みや熱といった自覚症状がないことから隠れた患者もいまだに多く、また、自ら病院に行くことが難しく、不幸にも重症化してしまうケースも多くあります。
そして、ハンセン病が「現在進行形の病気」といわれるもう一つの理由があります。それは「偏見と差別」です。ハンセン病は古くから、患者のみならず、回復者、ひいてはその家族すら苛烈な偏見と差別の対象となってきました。皆さん信じられないかもしれませんが、この現代においても、ハンセン病患者は公共機関を使ってはいけない、離婚の事由として認められるといった差別法も20を超える国で100以上現存しています。私はこうしたハンセン病に対する差別は社会の側が持つ病気であり、人権問題であると考え活動を強化しています。
2003年私ははじめて、人権問題としてのハンセン病を国連人権委員会に働きかけましたが、人権の専門家である委員は誰一人この問題について知りませんでした。それほどまでに、ハンセン病は「過去の病気」と多くの人には認識されていたのかもしれません。以降毎年現在の人権理事会に陳情を繰り返し、2010年に国連総会でようやく「ハンセン病差別撤廃決議」が国連加盟国全192ヶ国全会一致で採択されました。
しかし、ハンセン病にまつわる課題は根深く、私はこうしたハンセン病との闘いを、モーターサイクルに例えて説明しています。前輪は病気を治すこと、後輪は偏見と差別をなくすことであり、両輪が上手くかみ合わなければ前進しません。このように医療面、そして人権問題としての解決、即ちWHOも戦略の中で目指している「ゼロ・レプロシー」を実現していくためには、「いつ何時もハンセン病問題をおろそかにすべきではない」というメッセージを世界中に発信し続けていく必要もあります。その活動の1つが、私がコロナ禍に開始した”Don’t Forget Leprosy”キャンペーンです。お集りの皆さん、ハンセン博士が150年前にハンセン病問題解決にむけた歴史的発見をしたここベルゲンで、来る6月に国際ハンセン病シンポジウム”Don’t Forget Leprosy”を再度開催させていただきます。
ハンセン病との闘いは最後の1マイルまで来ています。しかし、日本には「百里を行くものは九十九里をもって半ばとす」という故事がある通り、最後の1マイルはこれまでの99マイルよりも過酷な道のりです。是非とも我々が一致団結することで、ハンセン病のない世界を実現してまいりましょう。それが、ハンセン博士のらい菌発見に対する私たち関係者の責任であり義務ではないでしょうか。ありがとうございました。