豊かな海を未来の子どもたちに残すために

人類は、古くから豊かな海の恵みを活用してきました。しかし、海洋環境の破壊や水産資源の乱獲などにより、当たり前のように私たちが享受してきた海の恵みはもうすぐ底をつくかもしれません。世界中の海がつながっている以上、こうした海の課題は他国との分野を超えた協力なしには解決できません。日本財団では、諸外国の研究機関などとも連携して豊かな海を次世代に引き継ぐための取り組みをサポートしています。
世界の海が直面する危機
寒流と暖流が交差する日本の近海には3万種以上の海洋生物が生息しているといわれます。世界有数の漁場として知られ、日本人は当たり前のように魚を食べてきました。しかし、日本の漁獲生産は、世界トップの漁獲量を誇った1980年代の年間1200万トンをピークに、急速に減少し、2000年代には600万トンを割り込み、世界ランクも5位にまで落ちました。
また、日本から世界の海に目を向けると、人口の増加が続き、健康食として魚食文化も広がり、魚の消費が増加してきた事が目立ちます。同時に漁業技術も進んだため、乱獲と海洋環境の破壊はますます強まいました。資源管理を優先しない需要と供給のスパイラルのなか、水産資源の減少に拍車がかかり、地球上の海から深海魚以外の魚が消える可能性まで指摘されるようになりました。
こうした中で、フランスの研究者、フィリップ・キュリー氏らが書いた「魚のいない海」という本が2009年に日本でも出版されました。気候変動や環境破壊とともに、世界の漁業が抱えている問題を指摘し、豊富なデータを元に魚資源の枯渇の危機を訴える内容でした。
日本財団会長の笹川陽平も同書を読んで、この魚と海の問題に包括的な対策を講じる必要性を感じたといいます。特に原因の究明と解決には、海洋学から政策研究まで分野を横断しての幅広い研究が不可欠という認識から、漁業資源管理と海洋保全研究で世界的に有名なカナダのブリティッシュ・コロンビア大学と日本財団が中心となり、各国の研究機関も参加して「ネレウス・プログラム」を設立することが決まりました。

専門分野を超えた協力体制で、海の未来をまもる
「ネレウス」とは、ギリシャ神話の海神のことで、海を鎮め未来を見通す力を持つとされています。聡明で温和な神で「海の老人」とも言われ、西洋では漁師の守り神でもあります。海の未来を科学的にそして俯瞰的な視野を持って予測し、魚と漁業を守り、ひいては次世代に海を引き継ぐ志を持った多くの若手研究者を育てようという願いを込めて、この名前が付けられました。

プログラムには、ブリティッシュ・コロンビア大のほか、海洋気候の研究所があるプリンストン大(米国)、生物学の分野で知名度の高い研究所があるデューク大(米国)、国際環境保護監視センターとケンブリッジ大(英国)、環境政策で世界トップレベルのストックホルム大のストックホルムレジリアンスセンター(スウェーデン)が加わりました。参加大学には、各分野の若手研究者が「日本財団ネレウスフェロー」として配属され、研究と人材育成の協力体制が整いました。
自然現象としての海洋の問題、生物学、化学の側面からの研究など理系の分野だけでなく、社会学的なアプローチや国際機関や各国政府に働きかけることを前提とした政策面の研究など文系の分野も重視しています。また、フェローが専門分野を超えて相互に連携することによる相乗効果も期待されています。
このプログラムの副統括を務める日本人研究者の太田義孝さん(ブリティッシュ・コロンビア大)は、「分野横断の研究者が集まることによって、知識が共有できる、研究の領域が広がる、研究対象や課題を俯瞰的に見ることができるなどの効果が期待されています。地域ごとの課題を解決するために、違った分野の専門家が集まって分析するというような取り組みは数多くありましたが、世界規模の問題を分野を越えて取り扱うネレウス・プログラムは非常にユニークです。ネレウスフェローの活動が始まって約1年間、積極的に研究を発表し、注目度が高まっていますが、特に今回の東北の被災地視察の体験を通じて、フェローたちの研究への意識はさらに高まったように感じます」と語ります。
太田さん自身の専門は文化人類学。人類と海の関わりを考える中で、海の存在の大きさを感じることが多いといいます。

「人類学者として『人』に注目して研究活動を続けている中で、海とのかかわりを考えてきました。生活に関わってくる海、圧倒的な自然の力を示す海、さまざまな海を見ると、この世界には人間が、一人の人間としての自分が簡単に知ることが出来ないことがあるということを教えてくれる存在であると思います。それほど大きい海の課題だからこそ、一人の力、一国の力では解決できません、ネレウス・プログラムのような、専門分野も、大学も、国境も越えた取り組みが世界には必要だと思います」
日本財団は国内の研究機関においても、東京大学海洋アライアンスや京都大学との共同シンポジウムなどを通じて、海の危機への対策を支援しています。また、世界が共有する海の問題は一つの地域では解決できないというアプローチを応用し、日本国内の地域レベルの活動の支援も行っています。ネレウス・プログラム調印の記者会見で、笹川陽平会長が「海なくして人類の生存はあり得ません」と述べた通り、豊かな海を残すための活動が続けられています。